歴史の帰一


この歴史�T篇の本論では、キリスト教史と大乗仏教史の並行を各時代ごとに見てきました。時間的な推移はそういうことなのですが、世界宗教の中心地の移動というものを考えると、大乗仏教は、インドに出現したのでありますが、西域を経て中国に入り、中国が大乗仏教の中心地になります。これがさらに東方の韓半島、日本に伝播しました。

一方キリスト教はパレスチナに出現し、最初はオリエントが中心でした。これがローマ帝国を教化し、さらに西北に向かい、西ヨーロッパをキリスト教化し、近世になって大西洋を渡りアメリカ大陸に移動し、さらに太平洋をわたって、現代で最も熱心な信仰が見られる韓半島のキリスト教を生むことになります。

韓国は、非常に熱心なキリスト教国であります。1997版のブリタニカ国際年鑑によると、キリスト教人口は総人口の26.5パーセント(プロテスタント19.8、カトリック6.7)であります。ちなみに仏教人口は、23.3パーセントであり、この比率は日本のそれと(キリスト教3.9パーセント)くらべると、キリスト教徒の割合が非常に多いのであります。

世界宗教の伝播は、ある民族から次の民族へと、次々にバトンを渡していくリレーに似た面があるように思います。すでに通過した地域では衰退がみられ、先端でもっとも熱心な信仰がみられるのであります。宗教は心、民族は体とするならば、紀元前のイスラエル民族史のように、心が一つの体に固定的にとどまるのではなく、次々に体を取り替えて移動し、この極東の地にやってきたと見ることができるのです。

さて本論においては、世界宗教という「心」の面から、イスラエル民族史の反復ということで東西の世界宗教史の並行を見てきました。いま、歴史篇�Tの結びとして、民族という「体」の面から、世界宗教が結実するべき一つの民族を特定できるかどうかを考えたいと思います。なぜならすでに述べましたように、時間的には1917年前後がイエス様の再臨の時期ということが分かっており、その場所を特定しなければならないからです。

古代イスラエルの宗教と民族は、ヨシュア以来パレスチナに定着します。その地域は、四方から多くの民族が絶えず侵入して、領土を維持することがとても大変なところでありました。

このパレスチナを中心として西南には、エジプトの地があり、東北にはメソポタミアの地域があります。パレスチナはエジプトとメソポタミア両勢力が激突する中間地域でありました。

エジプトやメソポタミアには、絶えず大国が興り、そのたびにパレスチナに侵入し、そこを橋頭堡として、世界制覇がめざされました。

この古代のパレスチナに似た地域を極東に探すなら、それは韓半島ということになります。

韓半島の東方には、日本列島があり、西方には中国大陸があります。中国では、古代のメソポタミアにみられたような大国が盛衰をくりかえし、そのたびに韓半島を支配するために攻撃してきました。日本も豊臣秀吉が、二度にわたって大軍を派遣して韓半島を蹂躙し、明治以降には、韓半島に進出し、ついに日本帝国に併合してしまうことになります。

パレスチナと韓半島は、非常に似ていると思います。同じようにメソポタミアの地域は、中国に似ており、神なる王の支配し続けたエジプトは、天皇を崇敬する日本に似ています。

パレスチナ、エジプト、メソポタミアの三地域が、古代オリエントの最も重要な構成要素でありますが、さらに、紀元前4世紀になると西方からギリシア人が進出してきて、オリエントを支配するようになります。

オリエントというのは、ラテン語の「日の出の地」に由来する語ということであります。ローマから見て、日の出る地であったのです。小アジア、シリア、パレスチナ、エジプト、メソポタミアなどがオリエントと云われる地域です。

古代ギリシアの拡大は、近世以来の西ヨーロッパ勢力の拡大に似ております。そして古代ギリシアを継承したローマ帝国はアメリカ合衆国に似ているということになります。ローマ帝国は、小アジア、シリア、パレスチナ、エジプトを支配下におきました。アメリカ合衆国も、太平洋戦争で日本が降伏すると、大規模な駐留軍が、極東諸地域に派遣され、荒廃したこの地域を支配下においたのであります。

こうして、古代パレスチナと韓半島、古代エジプトと日本、古代メソポタミアと中国、古代ギリシア・ローマと欧米という四対の対応を考えることができるのです。

なお、『聖書ハンドブック』(聖書図書刊行会、ハーレイ著)によれば、大洪水後のノアの子孫が散った地域の記述がある。ノアには、セム、ハム、ヤペテの三人の男子があったが、彼らの間に、言語の混乱がおこり四方に散らされた。

ヤペテ族は、北方に移り、ヨーロッパとアジアの大コーカサス族の先祖になったという。ギリシャ人には、「ヤペトス」(ヤペテ)は人類の祖であるという伝説があるという。ハム族は南方に向かい、南と中央アラビア、エジプト、地中海東岸とアフリカの東岸に多く分布している。とくに、エジプトは「ハムの地」と呼ばれたという。

セム族には、ユダヤ人、アッシリア人、シリヤ人、エラム人などがあり、北部ユーフラテス流域とその周辺に住んだという。全人類を意味するこの三系の子孫が、パレスチナを中心に周辺に分布して、それぞれ特徴ある活動をしたことは、興味深いことであります。

キリスト教が、古代オリエントの中心であるパレスチナに出現すると、巨大なローマ帝国は、それを滅ぼそうとしますが、滅ぼすことが出来ず、400年後には、逆に国教として受け入れるようになります。

古代オリエントのように、「日出る地」といわれる、極東の地に大乗仏教とキリスト教が集結してきました。この極東の一角に、米国をはじめ全世界を教化してあまりあるような、新しい世界宗教が出現するでしょうか。

以上のような点を確認するために、ここでもう少し詳しく調べてみたいと思います。