日蓮上人の路程と使命
第4節;本門戒壇運動


最澄が大乗戒壇独立の運動をすすめ、桓武天皇から3代目の嵯峨天皇の時、最澄の没後7日目に勅許がおり、戒壇院の建立となりました。この大乗戒壇なるものが、イスラエルの神殿理想に似たものであったことはすでに述べました。

イスラエルの神殿理想は、時間が経つに従って信仰が失われていきましたが、そこにエリヤという預言者が遣わされました。エリヤは、特別預言者と言われ、他の預言者と少し区別されています。

統一原理によれば、エリヤのサタン分立運動は、神殿理想に侵入したサタンを分立し、将来来られるメシアの道を平坦にするための行動でした。

「統一王国時代において、ソロモンの堕落により、彼の神殿理想はサタンの侵入を受けるようになった。」

そのため、
「成就できなかった神殿理想を再び探し立てて、実体神殿としてのメシアを迎えさせるために、神は四大預言者と十二小預言者を遣わし、サタン分立の摂理をされた。」

「また、神は特別預言者エリヤを遣わし、カルメル山でバァル預言者達と対決させて、バァル神を滅ぼされたのも、このような理想実現のみ言をさえぎるサタンを滅亡させるためであった。」

日蓮が上記のようなエリヤ的人物であるとすると、神殿理想に対したといわれるエリヤのように、大乗戒壇に対して何らかの活動がなければならないのですが、日蓮に「本門戒壇」の思想があります。

日蓮の唱えた、重要な項目が三つあります。題目、本尊、戒壇の三つであります。これを日蓮系教団では「三大秘法」といっております。

題目というのは、「南無妙法蓮華経」の七文字であります。
本尊とは、広辞苑によると、「信仰、祈祷の対象として、寺院に安置する仏・菩薩」をいうのであります。日蓮の場合は、久遠の釈迦牟尼仏、あるいは、日蓮によって書かれた曼荼羅が本尊であります。

三つめが「本門戒壇」であります。

「本門戒壇」は、最澄が比叡山に建立した戒壇と同じものではないようです。それを継承しながらも、それを日蓮の『法華経』観によって深めたものであります。戒壇には本尊が安置されるわけですが、その本尊が違うようです。最澄の戒壇は、迹門(しゃくもん)の戒壇であり、それに対して本門(ほんもん)の戒壇を建立しなければならないというのであります。

このような「本門戒壇」というのも、イスラエルの神殿のような、「メシアの形象体」であって、日蓮の行動というものは、結局、エリヤと同様で、サタン分立の目的からなされたのではないかと思うのです。
しかしエリヤがその使命を完遂できなかったように、日蓮もその使命を完遂できなかったようです。もっとも大乗仏教史は中心史ではないので、エリヤの場合とは全く同じではなかったと思います。

「しかし、エリヤは彼の天的な使命を完遂できずに昇天したので(列王下2・11)、メシアを迎えるためにサタンを分立していく過程で、再びサタンが横行するようになったのである。故に、イエスの実体神殿理想がなしとげられるためには、前もって、エリヤが地上で完遂できなかった、サタン分立の使命を継承完遂せしめる摂理がなくてはならない。このような摂理的な必然性によって、預言者マラキは、エリヤが再臨することを預言したのであった」
『原理講論』、第4章、第2節、193P

それゆえ日蓮は、弟子達に遺命を与え、この使命を完遂させようとしたようです。

日蓮は「三大秘法禀承事」で、どのようにして本門戒壇を建立するかをのべています。

「戒壇とは、王法が仏法に冥し、仏法が王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持って、有徳王と覚徳比丘のその昔を、末法濁悪の未来に移す時、勅宣ならびに御教書を申し下して、霊山の浄土に似た最勝の地をたずねて戒壇を建立すべきものか。」

「時を待つべきのみ。事の戒法ともうすはこれなり。三国ならびに一閻浮提の人が懺悔滅罪する戒法であるばかりでなく、大梵天王、帝釈等も、来下して踏みたもうべき戒壇なり」

この遺文は真撰かどうか論議されておりますが、伊藤瑞叡師は、コンピュータ解析の結果、真撰と断定されているようであります。

最澄の戒壇は、懸命の努力にもかかわらず、最澄の生前には勅許がおりず、死後にはじめて勅許がおりたのです。天皇の信任の厚かった最澄でさえそうですから、この勅許をうるためには相当の支援する基盤が必要です。

日蓮の弟子の一部は、この遺命を実現するために邁進しました。たびたび『安国論』が為政者に提出され、ひどい迫害をうけています。

とくに、秀吉、家康によって強大な国家権力が樹立されてのちは、全く歯が立たなくなったようです。日蓮の教えに忠実になろうとした不受不施派は、キリシタンとともに徹底的な弾圧をうけて消滅していきます。