日蓮上人の路程と使命


平安初期の桓武天皇と最澄のペアを、チャールス大帝と法王レオ3世に比較する図式からすれば、最澄の後継者である天台座主はローマ法王にあたるわけです。

日本の天皇は日本の国王であり、俗権を代表する立場であると考えます。その天皇が位を譲って上皇となり、上皇が出家して、法皇とよばれて政治をしたこともあります。しかし大乗仏教の立場からいえば、それも俗権であり、ローマ法王のような立場は、天台座主であったと考えます。

鎌倉時代には、比叡山は天台座主を中心に、全国に末寺をもつ仏教の総本山として成長していました。しかし、比叡山以外に高野山や、奈良の諸大寺もあり、それらの勢力も相当なものであったようです。

しかし、鎌倉新仏教といわれ、今日まで隆盛をみる教団を形成した鎌倉時代の祖師たちは、すべて比叡山出身の僧侶でありました。浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮などであります。

比叡山以外からも、鎌倉時代に、明恵上人高弁などのすぐれた僧がでましたが、華厳宗という、既成教団に新風をおこしたものの、一つの教団を形成したということはありません。民衆教化という点では比叡山出身の改革者の影響力が圧倒的に大きかったのです。

日本仏教の母といわれるように、最澄の比叡山天台法華宗は、このような革新者を生み出す特別の背景をもっていたのであります。

鎌倉時代に、法然、親鸞、道元、日蓮ら改革者が、続々と出現したことについて、いろいろな解釈があるようです。私は、この歴史現象を、キリスト教史の托鉢修道会の運動に対応させて考えています。それは、歴史�T篇の本論ですこし説明してきました。

托鉢修道会の有名な人物は、聖フランシスコや聖ドミニコであります。神学で有名なトマス・アクィナスもそうです。それぞれ個性をもっており、誰が誰に対応するというようなことはいえませんが、鎌倉新仏教との共通するところがいくつか指摘できると思います。

西欧キリスト教で修道会の基本となったのは、ベネディクト戒律であります。これを「止観」を中心とする天台宗の修道法に対比することができます。托鉢修道会は、このベネディクトの戒律をのりこえて、より根源となる聖書にもとづいて、清貧などの徳目を実践することにつとめました。また彼らは修道院内ですごすのではなく、街頭での説教などを通して人々に直接に語りかけたのであります。これは比叡山を降りて、人々の中で修行と説教をおこなった鎌倉新仏教の祖師たちに似ていると思うのです。

キリスト教史の托鉢修道会運動は、統一原理のいう同時性のうえでは、イスラエル史の預言者運動を反復する内的刷新運動であると考えるのです。

イスラエルの預言者で、イザヤやエレミヤなどが有名です。これらの預言者たちは、イスラエル民族の不信をいましめ、改めないなら災いが来るぞと勧告しつづけました。

鎌倉新仏教の場合、彼らが共通して比叡山から出たにもかかわらず、彼らの得た結論はまちまちでした。座禅せよ、念仏せよ、題目を唱えよと、言うことは違っていました。しかしこれらの教えはそれぞれ、時代の共感を得て、大きな教団を形成していったのであります。