二仏並坐と久遠本仏
第4節;久遠本仏とは何か
第2項;久遠本仏はお釈迦様か


前出の日高白象師は、久遠本仏とは何かについて、次のように主張しています。

『法華経』の中で一番難解であり最も誤釈されやすい点は、如来寿量品におけるお釈迦さまの久遠開顕、生身のお釈迦さまが生身のままで久遠の本仏として復活するということです。

久遠の本仏が開顕されたけれども、それは、お釈迦様ではない別の仏様をいっているのでなく、歴史上のお釈迦様、その方が『法華経』で復活して久遠本仏になったというようなことであります。

さて、日蓮上人の、窪尼御前御返事という御遺文を見ると、

まして『法華経』は仏にまさ(勝)らせ給ふ事、星と月と、ともしび(灯)と日とのごとし。

『法華経』が「仏」に勝っておられることは、星に対する月、灯火に対する太陽のようだというのです。 「仏」とは、前後の文脈からすると、釈迦仏なのでありますが、『法華経』は「日」や「月」のようであり、釈迦仏は、「ともしび」、「星」のようである、というのであります。

ところで、『法華経』と久遠本仏は同格の存在と考えられます。すると、久遠本仏と釈迦仏の間には「太陽」と「ともしび」のように格段の差があるということになり、久遠本仏はお釈迦様よりもはるかに尊い存在で、お釈迦様は久遠本仏ではないということになります。

歴史上のお釈迦様が入滅してから、その遺骨(仏舎利)は、何ヶ所かに分けられ仏塔が建立され、在家の人々が中心となってそれを供養していきました。この仏塔をめぐって人々の仏陀観が発展してゆき、永遠性をもった仏陀像が説かれるようになります。

紀野一義氏も、先に紹介した論文の中では、『法華経』の釈迦牟尼仏を「神話的仏陀」と呼んで、歴史的お釈迦様と区別しています。このホームページでも、歴史的な釈尊については、「お釈迦様」、神話的釈尊を呼ぶ時には、「釈迦牟尼仏」と、できるだけ記述するようにしています。
すでに本章第1節(第6項)「歴史的問題」の項で述べましたように、『法華経』など初期大乗仏教の出現の年時が、キリスト教の出現と同時刻であることを考えると、久遠の釈迦牟尼仏の概念は、イエス・キリストとの関連で考察しなければならないと思うのです。

日高白象師はこんなことを書いております。

「いつの頃でしたか、東京玉川道場で私と私の家内と二人で盛んにこういう話をしていた時でした。御宝前でお経をあげていると、お釈迦さまの手の平より血が溢れて流れ出るということがありました。この霊的現証を見たのは家内ですが、この現証を見せられて二人とも無気味に思ったのですが、しかしこれこそお釈迦さまは仏像であっても『これこの通り生きているよ』と私たちに知らせ、私たちを励ますために、みずからの体より血をしたたらせて見せられたのだと知って、感動を久しくしたことがありました」
日高白象著『久遠の本仏−自我偈随想<一>』147P

しかし、お釈迦様が手の平にケガをされたということは聞いたことがありません。あるいは、そういうことがあったのでしょうか?。イエス様は、実際に十字架に釘付けされたのであり、それは生々しい記憶を人類にのこしました。
それで、「この霊的現証」は、熱心に久遠仏を探求する日高師に、奥様を通して、イエス様がご自身を示されたのであると私は思っております。

何度もいいますように、仏陀という用語は広い意味をもっており、イエス・キリストも“真理を悟った人”「仏陀」であることは間違いないのであります。

ヨハネによる福音書の「アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのである」というのは、イエス様の直接のみ言でありますが、『法華経』の「これわが子なり」というのは、お釈迦様の直接のお言葉ではなく、後世に述作された大乗経典『法華経』に始めて現れた言葉なのであります。

我々東洋人が、キリスト教をはじめて知ったのは、景教を通してであると思われていますが、『法華経』は、教理の直接的な伝播ではなくても、霊界から教えられて、このようなキリスト教の神髄を大規模に伝えていたのです。