仏となることを得べし

授記の内容の第1は、「仏と成為(な)ることを得ん」であります。これは、統一原理でいう第一祝福の「個性完成」に相当すると思われます。これは、狭義の成道、成仏、作仏ということと同じであります。
お釈迦さまがお生まれになった時、七歩あるいて、天上天下唯我独尊と言われたという伝承があります。完成した人間は、全世界で、その人物しか持っていない個性を完成した立場になるのであり、他の人物では換えることの出来ない唯一無二の価値をもつ存在となります。それゆえに人間は完成すれば誰しも、天上天下唯我独尊といいうる境地を体験するのであります。

人間の寿命が尽きれば、肉体を失って霊人になるわけですが、霊人は、地上生活で成長させた内容を、そのままもって霊界に行くのであり、低い生活をすれば、不自由な低い霊界に行くのであって、霊界に行けば完成できるというわけではありません。

仏教史には、龍樹とか世親とか、天台大師とかの有名な人物が出現していますが、彼らの中で、成仏(個性完成)した人が一人でもいたでしょうか? 聖書によれば、完成した人間は、歴史上に一人も存在しなかったというのであります。

「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない」(ローマ人への手紙3章10〜11節)
個性完成するには、心と体を統一させる必要があります。心の本性は、常に理想を求めます。どんな人でも心の本性は「全世界の人を助けてあげたい」と思っているのです。ところが体は常に、自分の衣食住・性欲がすみやかに充足されることを願い、世界のことより、自分のことを優先させる傾向をもっているのであります。

あらゆる人は、このような心と体の葛藤の中で生きているのであります。個性完成は、この心と体の葛藤を終息させて、統一したうえで実現されるのであり、簡単なことではないのです。歴史上に一人もいないとパウロが言うのは本当なのです。
統一原理では、神を中心として、心と体が一つとなって個性完成することを、個体的四位基台を造成するといい、左図のように表しています。

大乗仏教で色心不二といいます。色は物質、形状をもつもので、人間の「体」は色であります。色心不二は、体と心が一つであることをいうのでありますが、体は体、心は心であって、同じものではありません。体は、有形のものであり、心は無形のものです。その異なる二つのものが、それを創造した源である神様においは、一つに中和して存在しています。それ故に、この異なる二つのものは、神を中心とすることによって始めて、一つになることができるのであります。